夢野久作「瓶詰の地獄」の矛盾点に関する覚え書き
夢野久作の短編小説「瓶詰の地獄」(「瓶詰地獄」とも)は、筋書きとしては複雑な話ではない。
幼い兄妹である市川太郎と市川アヤ子が、海難事故によって無人島に漂着する。南国の楽園のようなその島で平和な日々を送る二人は、心身の成長につれて互いを異性として意識するようになっていく。漂着したときに持っていた新約聖書を通じて倫理観を育てた彼らにとって、近親相姦の甘美な誘惑はしかし、同時に地獄のごとき苦しみでもあった。激しい懊悩の果てに罪を犯してしまった兄妹は、救助にやってきた船を前に心中を図る。
以上の顛末が、二人がビール瓶に詰めて海に流した三通の手紙を通して、時間を遡りながら語られる。「第一の瓶の内容」として描写される手紙は心中直前にアヤ子によって書かれたものであり、続く第二の瓶の手紙には、禁断の感情と罪の意識に板挟みにされた太郎の苦悩が記されている。そして最後の第三の瓶の中身は、漂着直後に両親に宛てて連名で書かれた、救助を求めるごく短い手紙である。この時系列の逆転がもたらした表現上の効果は大きく、「瓶詰の地獄」は夢野久作の多くの作品の中でも高い評価を受けることになった。
動物的欲求と宗教的倫理観の葛藤などのテーマを深読みしなければストーリーとしてはこれで終わりなのだが、奇妙なことに手紙の内容には大小いくつかの矛盾が存在している。それらの意味するところは読者の想像次第であり、一般的な推理小説のように結末で真相が明らかにされたりはしない。
ここでは「瓶詰の地獄」の矛盾や、明らかな矛盾ではないものの創作物であることを考慮すれば綻びに感じられる(読者が想像によって強引に解釈することもできるが、通常ならば推敲の過程でより自然な形に改められるべきであろう)描写について説明していく。簡単な覚え書きのようなものである。
以下、第一の瓶の手紙を三通目、第二の瓶の手紙を二通目、第三の瓶の手紙を一通目と、時系列に従って呼ぶことにする。
手紙は両親の元に届いていないはずなのに救助の船が来ている
三通目でアヤ子は、助けにやってきた船に両親らしき男女が乗っているのを見て、自分たちが出した一通目の手紙が両親の元に届いたのだろうと書いている。しかし、実際には三通の手紙の瓶は全て蝋で封印された状態で発見されたのだから、両親のみならず誰一人として一通目の手紙を読んではいなかったはずである。
遭難してから長い年月が過ぎている以上、手紙と関係なしに捜索活動が行われていたとは考えにくいし、付近を航行していた船舶が偶然二人を発見しただけという解釈もあまり自然なものとは言えない。助けを求める目印として立てていた旗は、二通目の時点で太郎が海に投げ捨ててしまっているためである。
また、偶然の発見の結果として救助が来たのだとすると、その船に両親が乗っているというのも不自然に感じられる。普通は兄妹を発見した船(ないしはその船から連絡を受けた他の船)がすぐに駆けつけ、近くの港まで送り届けられた二人の身元を警察が調査し、しかる後に両親と感動の再会という流れになるのではないだろうか。
この疑問点は、「瓶詰の地獄」に関する考察の中でも最も注目を集めるところと言っていいだろう。『夢野久作全集8』(ちくま文庫)に収録されている西原和海の解題によれば、この点を初めて指摘したのは『現代詩手帖』昭和45年5月号の由良君美論文「自然状態と脳髄地獄」であるという。この論文で由良は、救助の船も、さらには兄妹が犯した罪の意識も、苦しみもがいた末の極限の精神状態、すなわち「脳髄の地獄」によってもたらされた幻影であるという解釈を試みている。
手紙の文章が難しすぎる
二通目と三通目(特に太郎によって書かれた前者)の手紙の文章には、不自然なほど難解な漢字や語彙が頻出する。しかし二通目によれば、漂着当時の年齢は太郎が十一歳、アヤ子が七歳だったという。この年齢の子供にそのような手紙が書けるはずはなく、実際に一通目の文章は大半が片仮名で書かれた拙いものでしかない。
普通に解釈すれば、聖書を通じて学習したということなのだろう。太郎が聖書を教科書にしてアヤ子に言葉や文字を教えていたということは二通目にも書かれている。使う言葉の難しさに比して文体が稚拙なのも、学習方法の特殊さゆえと考えれば説明がつく。
だがそれにしても、はたして十一歳と七歳の兄妹が、新約聖書一冊以外に一切の本もなく、自分たち以外に一切の人間もいない環境で、二通目や三通目のような装飾過多な文章を長々と書けるまでになるだろうか。
太郎とアヤ子の文体が大きく異なる
太郎が書いた二通目とアヤ子が書いた三通目は明らかに文体が異なっているが、これも不自然と言えば不自然である。
漂着当時に七歳であったアヤ子が、十一歳の兄と一冊の聖書だけを情報源として言葉を学んだのならば、兄とよく似た文体を身につけるほうが自然なように思える。
なくなりかけたはずの鉛筆で手紙を書き続けている
二通目の終わり近くに、鉛筆がなくなりかけているのでもうあまり長く書けないという一文がある。では、三通目は一体どのようにして書かれたのだろうか。
三通目は二通目ほど長くはないものの、一言二言の短い手紙というわけでもなく、なくなりかけの鉛筆で書けるものかは疑わしい。
アヤ子が島の崖を「神様の足凳(あしだい)」と呼んでいない
二通目で太郎は、島にある高い崖を指して「神様の足凳」と書いている。太郎とアヤ子がそう呼んでいる崖の淵には、いつもフカ(鮫)が泳いでいるのだという。
太郎が手紙の中でこの崖に言及するときは、その都度「神様の足凳」という表現が使われている。ただ単に「崖」としているのは、直前に「神様の足凳」と書いた場面から場所が移動していない場合だけである。
二通目の内容を信じるのなら、太郎だけでなくアヤ子もこの崖を「神様の足凳」と呼んでいたはずだが、しかし三通目では崖(この崖の下の淵にも鮫が常に泳いでいるらしく、普通に考えれば同じ崖だと思われる)のことは「高い崖」としか書かれていない。
常に青い葉を吊るしていたはずの旗に、枯れた葉が結びつけられている
二通目の前半で太郎は、救助の目印になるように崖(神様の足凳)に棒を立て、そこにいつも青い木の葉を吊るしておくようにしたと書いている。であるからには当然、葉が枯れたら(または枯れそうになったら)新しいものに交換していたはずである。
ところが後半でその棒を海に投げ捨てる場面では、棒の先端にはヤシの枯れ葉が結びつけられていたと書かれている。
大切にしていたはずの聖書を、開いたまま小屋に放置している
漂着したときに持っていた一冊の新約聖書について、二通目の前半には「神様とも、お父様とも、お母様とも、先生とも思って」という記述があり、精神の拠り所となる唯一の書物を太郎とアヤ子が非常に大事に扱っていたことがわかる。
ところが、二通目の後半で太郎が聖書を衝動的に燃やしてしまう場面では、聖書は詩篇のページを開いたままで無人の小屋の中に置かれている。それほど大切な本(普段は岩の穴にしまっていたようである)を、開きっぱなしのままで誰もいない場所に置いておくものだろうか。
青空がいつのまにか夕空になり、また青空に戻っている
二通目の後半に、太郎とアヤ子が砂浜に座っている場面がある。これはウミガメの卵を焼いて食べたあとの午後の出来事と書かれており、アヤ子の涙が焼け砂に落ちたという記述などからしても、日中であることは間違いない。その後に太郎は神様の足凳に登るが、ここでも藍色の空に白い雲が流れており、やはり日中のままである。
しかしその直後、救助の目印にしていた旗を海に捨て、ウミガメの卵を焼いたときの残り火(食事をしてからそれほど時間が経っていないということである)を使って聖書を燃やし、そして砂浜に駆け戻った太郎が見たアヤ子の姿は、なぜか夕焼けに照らされている。
これだけならばまだ、聖書を燃やして砂浜に戻るのに手紙の文面から受ける印象以上の時間がかかっているだけで、普通に日が落ちたのだと解釈することもできなくはないかもしれない。ところがそれから太郎とアヤ子が自分たちの小屋に戻ったときには、聖書を燃やした火が広がったせいで火事になってしまった小屋の煙が、夕空でも夜空でもなく、青空へと上っていく。さすがにこの間に一晩が明けているとは考えにくく、時間の流れに矛盾があると考えざるを得ない。
(以下、お寄せいただいたご指摘に基づき2016/01/26に追記)
新約聖書であるはずなのに詩篇のページが開かれている
先述の項目の通り、二通目の後半では太郎が衝動的に聖書を燃やしてしまう場面があり、このとき聖書は「詩篇の処を開いてあった」状態だったと書かれている。
しかし詩篇は旧約聖書の一部であり、対して太郎とアヤ子が持っていた聖書は新約聖書である。
新約聖書中には旧約聖書からの引用が含まれており、詩篇を引用した箇所も多数存在はするが、それらの引用箇所を指して「詩篇の処」とするのは自然な表現とは言いがたい。 (*1)
(以下、余談として2016/01/26に追記)
最初に書いた通り「瓶詰の地獄」の筋書きは複雑なものではなく、むしろ話としてはごく単純である。しかし、短い手紙の中に明らかな矛盾が複数含まれた構成には(それらの矛盾がどこまで意図的に仕込まれたものであるかは定かでないにしても)読者の想像力を刺激するものがあり、これによって「瓶詰の地獄」は一種の謎解きのような面白みも感じられる作品となっている。
あるとき、ふと思いついてWebで検索をしてみたところ、この小説の矛盾点についての様々な考察が見つかった。それらの考察の内容については、ここで詳しく触れるつもりはない。創作作品についてどのような解釈をするかは、基本的には受け手に委ねられている。それが不当な差別などをもたらすものでない限りは、蓋然性の高い合理的な推測であれ、あるいはトリッキーで説得力に欠ける曲解であれ、どんな解釈をしようと個々人の自由である。
ただ気になったのは、そうした考察の多くが瓶の封や鉛筆の件に注目する一方で、それ以外の不自然な描写にはあまり、あるいは全く触れていなかったことだった。それらの描写が誰にも気に留められなかったというわけでは、もちろんないだろう。しかし、大して注目されていなかったのだろうとは言える。
それならば、そこをフォローするメモのようなものが一つくらいWebに置かれていてもいいだろうと考えたのが、このページを作成した動機である。
- 最終更新:2016-01-27 19:32:10